中尾観音(相良三十三観音/第2番札所)
古くは「蓮寿庵(れんじゅあん)」といって、二十一代藩主頼寛(よりひろ)の夫人が夫の菩提を弔うために建てました。その後「清明寺(せいめいじ)」となって、中尾観音と呼ばれるようになりました。ここの本尊は願成寺から移され、どんな願いにも応えてくださると、多くの人々から信仰されています。境内続きには、相良家の墓地や六地蔵、また受験に霊験あらたかな「源兵衛さん(げんべえさん)」。入り口には、恐ろしい形相の石造りの青面金剛像などがあります。
古くは「蓮寿庵(れんじゅあん)」といって、二十一代藩主頼寛(よりひろ)の夫人が夫の菩提を弔うために建てました。その後「清明寺(せいめいじ)」となって、中尾観音と呼ばれるようになりました。ここの本尊は願成寺から移され、どんな願いにも応えてくださると、多くの人々から信仰されています。境内続きには、相良家の墓地や六地蔵、また受験に霊験あらたかな「源兵衛さん(げんべえさん)」。入り口には、恐ろしい形相の石造りの青面金剛像などがあります。